パネル展「若宮丸の津太夫と左平」(ちらしより)

shiogamalife

2008年02月29日 21:00

 前に情報を提供いただいたイベントのちらしを入手しましたので、ご紹介。

 以下、ちらしより。

日本財団助成事業
パネル展
鎖国の時代に世界一周した
若宮丸の津太夫と左平


 日本人の海外渡航が禁止された江戸時代に、若宮丸の船員は世にも貴重な体験をしました。
 彼らが見聞した世界の様子は『環海異聞』に集大成され、ロシア学と世界情報の基本文献となりました。
 彼らが見てきた世界の一端をご紹介します。

日時 平成20年3月4日(火)~24日(月) 9:00~18:00
会場 マリンゲート塩釜 1階ポートギャラリー

主催 / NPOみなとしほがま
協力 / 石巻若宮丸漂流民の会宮城県図書館(『環海異聞』の図版提供)・東京大学史料編纂所(『レザーノフ来航絵巻』の図版提供)
後援 / 塩竈市・塩竈市教育委員会
監修 / 平川 新(東北大学教授)


 世界一周し故郷寒風沢に帰還した津太夫と左平

 1793年(寛政5年)11月27日、江戸向けの仙台藩米と材木を積んだ千石船・若宮丸が石巻港を出港した。船主は石巻の米沢屋平之丞、船頭は平兵衛、乗組員16名の中に寒風沢の津太夫・左太夫・銀三郎・民之助・左平、石浜の辰三、室浜(東松島市成瀬)の多十郎・儀兵衛がいた。若宮丸は塩屋岬沖(福島県いわき市)において悪天候に遭い、操船不能となって漂流し、翌年5月、ロシア領アレウト列島(アリューシャン列島)の小島に漂着した。そこで船頭平兵衛は病死するが、残る15人はこの後シベリアのイルクーツクに送られ、ここで7年間滞在する間にさらに2名が病死、4名はロシアに帰化した。

 1803年3月、ロシア皇帝アレクサンドル1世の命により、13人の漂流民は首都ペテルブルクに呼び出された。長旅の疲れや病気のために現地にとどまった3名を除き、10名が首都に到着し、皇帝に謁見。帰国の意思を問われ、津太夫・左平・儀兵衛・多十郎の4人が帰国を、他の6人は残留を希望したのである。
 4人を乗せたロシア初の世界一周就航船・ナジェージダ(希望)号は、首都近くのクロンシュタット港を出港、コペンハーゲン港(デンマーク)、ファルマス港(イギリス領)、サンタ・カナリア島(大西洋)、マルケサス諸島(南太平洋)、ペトロパブロフスク港(カムチャツカ)などに寄港し、約1年3カ月におよぶ航海を経て、1804年9月ついに長崎に入港した。

 帰国した4名は、幕府の厳しい取調べを受けた後、仙台藩に引き渡された。仙台藩主伊達周宗もまた蘭学者大槻玄沢らに命じ、詳細な聞取りをおこなった。こうしてまとめられた「環海異聞」はかれらの苦難に満ちた長期の漂流体験、異国体験の末に持ち帰られた貴重な海外情報を鎖国時代の日本に伝えた記録として、その後の日本の世界認識の発展に大きく寄与したとされている。


 以上、ちらしより。

 マリンゲート塩釜の地図はこちら

■関連サイト
河北新報ニュース 江戸時代・漂流の若宮丸 乗組員の足跡たどる 塩釜(3/18追記)


塩竈で暮らす。:塩竈イベントカレンダー(2008年2月以降)

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